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1929年初代「村與作」が池袋の地に「紙問屋」を創業。
当時の池袋は人も少なくビルもなく、現在のような世界第二位の乗降者数を誇る街とは
違っていました。今、駅前の通りは、「グリーン大通り」と呼ばれていますが、当時は
ビックリガードを直進し、雑司が谷に向かう「東通り」がメインの通りでした。
当時は、店舗といっても「小売」できる場所ではなく、和紙、京花紙、衛生紙などを中心とした「卸業」でした。取引は、今の23区を中心に東京市内全域を網羅していたようです。
池袋に出店した時の場所は、現在の「りそな銀行 池袋支店」近辺だったようです。
その後、現在の「紙のたかむら」に移転します。
といっても、当時あった場所は現在では、グリーン大通り上になっています。

1937年護国寺から池袋の駅前まで、「市電」が開通します。
池袋は、この市電が延伸したことで、徐々に変化をします。人通りが多くなり、お店に顔を覗かせ、「商品を分けてもらいますか?」という事も多くなってきたようです。
その頃から、製袋機械を購入し、自社の封筒などを販売していたようです。
この頃、個人経営だったのを「合資会社山一商事」設立。

1941年大東亜戦争、開戦。
戦時中は、池袋駅周辺は危険と判断したのか。製袋工場として借りていた雑司が谷に家族と社員は、転居しています。(当時、社員は住み込みでした。)
卸業は引き続き行っていたものの、社員は赤紙で戦地に徴用され、統制経済となり通常の営業は困難となっていたようです。
統制経済が、始まってすぐに当社は東京四区の紙配給所になりました。
当然、家族労働で配給所を運営していたため、忙しかったようです。

1945年終戦。
東京大空襲後、将校住宅(練馬区大泉)に身を寄せていた家族は、終戦後即日、焼け野原の池袋に向かいます。その時、偶然にも社員の家族に遭遇。
「仕事を始めるから、この足で池袋へ行こう」という社長の一言で、その一週間後には、仕事を始めたということです。

1946年高村紙業株式会社設立。
戦後の混乱期ではありましたが、今後の「紙」の需要を考え法人を設立しました。

1959年卸部、倉庫を移転。
卸部を独立採算とし、場所を東通りに移転しました。この頃には、経済の飛躍的な発展と共に池袋駅もターミナル駅としての役割となり、池袋の街も人通りが多くなりました。
池袋東口の駅前に店舗を構える当社も、駅前で卸業を行うことは生産的ではないということで、池袋駅前は小売を中心に営業していくこととなりました。

1961年純喫茶を開店。

1967年池袋駅前に本社社屋を竣工。
地上7階、地下2階の鉄筋鉄骨造の建物を建築しました。

1970年南池袋2-22-1に賃貸用建物を竣工。
地上7階、地下1階の鉄筋コンクリート造の建物を建築しました。

1987年南池袋2−22−1賃貸用建物を増築とリニューアル。
隣地に増築し、前記の建物も完全リニューアルし、建物を付けました。

1997年創業者「高村與作」死去(93歳)

2000年「紙のたかむら」リニューアルオープン

2002年「和食会席と銘酒 Bakuの夢」オープン

 

 




豊島区東池袋1-1-2 TEL:03-3971-7111